団塊の世代(1947年~1949年生まれ)が揃って大学生になった頃、マスコミでかなり過激なデモをして大きく取り上げられていたのを思い出します。この時も安保法制に反対する学生のかなり過激なデモがマスコミに取り上げられていました。ところが現在、安保法制に関してはほとんどの人に受け入れられているのが現状です。それではあの時代にあれだけ過激に反対していた学生は何だったのか?本当にあれだけの人が自分の意志でデモに参加したのか?という疑問が残ります。
この学生運動もその後いつの間にかマスコミに取り上げられなくなったという印象があります。衰退した原因は殆どの人が学生からサラリーマンになり、もし過激なデモに参加しようものなら職を失うことになってしまうからでしょう。
最近、マスコミがまた学生運動をニュースで取り上げたりしていますが、同じ疑問が残ります。本当に自分の意志で納得したうえで参加しているのだろうか?? 昔と違って今ではテレビで国会中継を見ることも可能です。またインターネットの時代となり、情報も賛成から反対の意見まで幅広く調べることも可能です。全てを理解し受け入れた上でその中で自分が正しいと思えば自らの意志で参加するということは民主主義を尊重するものだと思います。
しかし、マスコミ、デモ指導者が主張していることを全て鵜呑みにしてデモに参加するというのは間違っています。情報を鵜呑みにするということは相手の思惑通り扇動される可能性が高くなります。特にマスコミの報道は一方通行ということもあり自分で本当なのかどうか調べ直すことが必要です。乗りで周りの主張に同調することは民主主義の根底から揺るがす衆愚政治になってしまいます。
今思うに、昔と違ってインターネットで色々と調べていくとマスコミによる情報が全て正しいというのは誤解だと感じることがあります。本来マスコミの報道というものは相対する意見を挙げてどちらの意見も尊重されるような資料を報道することがフェアだと思います。ところが必ずしもそうではないのです。そもそもマスコミの目的は視聴率で、スポンサーへの配慮という足かせもあり、しがらみのない自由な報道をできるような体制ではないのです。公平性を期待するほうが間違っていると思います。
最近の学生運動、なぜかラップで主張を訴えているのをマスコミが取り上げているのを見るとついついヒット曲狙いかと勘ぐってしまいます。